Re: Opinions here of the "classic" Nelson?



"Bart Mathias" <mathias@xxxxxxxxxx> wrote in message news:zaoSf.8689$Jz4.8172@xxxxxxxxxxx

wasn't 妥当 for 「二」, and either it or 「|」right for 十? I find
myself still converted to the OP's view that some 漢字 are a bit
arbitrarily assigned.

だって、元々自然発生的に、つまり、classify されることを前提と
*せず*に生まれたものを、生まれた後になって何らかの形で
classify しようとすれば、そこに何らかの歪が生じるのは当たり前の
ことであり、あらゆる classification 、例えば、生物の classification
にしても、その無理を承知の上でやっているのですから(神様が
キチンとお創りになった などと思っている人はいないはず)、
漢字についてだけ、ことさら arbitrary というのはいかがでしょう。

なお、
wasn't 妥当 for 「二」, and either it or 「|」right for 十?
について言いますと、

漢字を部首という形で整理する際、いくつかの原則が立てられており、
その原則の一つに、ある部首で作られた文字は、さらに別の
多くの文字の部首となることもある というものがあります。
この原則がないと、横棒や縦棒、あるいは点や斜め線、曲線(弧)
といった、少数の、極めて単純な構成要素の下に、無数の
漢字を入れざるを得なくなり、部首によって漢字を分類する 
という行為の意味がなくなってしまうからです。

「二」はその例で、これは「一」の下に入るべき字なのかも
しれませんが、その一方において、これを部首とすることに
よって他のいくつもの文字をこの部首の中に属させることが
できますので、これを「一」とは別にしているのでしょう。これは、
元の原則を承認する限り、決して arbitrary なものではありません。

また、「十」についてですが、これは言うまでもなく、「十」の元の
字が縦棒、中央部がややふくらんだ縦棒だったことから来た
ものであり、私個人としては、許慎が古い自体をよく研究して
いたことに感嘆する のみであり、漢字をその*元々の*構成要素で
分類する という原則の、極めて忠実な事例と思えます。もし、これを
「一」に分類したとすれば、それこそ、原則を無視した、arbitrary
なものなのではないでしょうか。

I have only 漢語林 and (上田萬年の)大字典 at my disposal.
Ueda doesn't
cross-reference 「和」, but does list it in the 檢字.

何たって、上田萬年先生など、漢学の素養の深い明治時代の
先生方にとって、「和」を「禾」の下に置くなどは「学の無い」証拠で
あり、そのような形を御自分の名で出す書物に持ち込むことなどは
「以っての外」だったのではないでしょうか。
私には、明治という時代を物語る、(今となっては)ほほえましい
実例のように思えます。
                  上 柴 公 二

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