Re: Query: Use of WO where DE is expected.



"mirror" <mailto@xxxxxxxxx> wrote in message
news:4h3gb2df1eccp25cd374jv13jatp0bfvdv@xxxxxxxxxx

In Jack Halperin's big kanji dictionary on page 30 for the entry I
(as in `igai' and irai') is...
"Kogatana o motte korosu." (to kill [a person] with a knife)

This is an odd usage of the particle O. I would have expected DE
here, since O seems to say "to kill a knife".

「もって」がある以上、この「・・を」を「殺す」の目的語と解釈する
ことはできません。逆に言うと、そのように解釈すると、「もって」と
いう言葉が宙に浮いてしまう というか、意味を失くしてしまいます。

Can anybody help me understand this idiom?

「・・をもって」は、「・・で」や「・・でもって」に相当する、やや obsolete
な言い方だ と理解されればいいでしょう。

昔々、古典中国語で書かれた文章を日本語で読む(理解する)際に、
古典中国語の「以」(これは、次にくる言葉が手段・方法を表す言葉で
あるということを示す言葉です)を「・・をもちて」と訓読していました、
つまり、そのような日本語に対応させて理解していたのです。
この「もちて」は言うまでもなく「持つ」の連用形に助詞「て」が付いたもの
ですが、当時、「持つ」という言葉には、「手に持つ」という意味に加えて、
「用いる」という意味がありましたので、「以」という中国語にうまく対応
させることができたのです(細かい議論はありますが、ここでは省略)。
なお、当時は、まだ、手段・方法を表す助詞「・・で」が存在していません
でした。

この「・・をもちて」が、後に音便変化を生じ、「・・をもって」になったのです。
従って、「・・をもって」の方が本来の形であり、「・・でもって」は後に
なって生まれた言い方、多分、「・・をもって」と「・・で」との contamination
から生まれた言い方ではないか と思われます。

なお、この「もって」を「持って」と理解しようとするのには、日本語として
若干の無理、違和感が感じられます。

なぜそうなのかを説明するのは一寸難しいのですが、
一つには、この「持って」が、言葉不足か、余分な言葉であるか 
のように聞こえる という点があります。

余分な言葉だという点は比較的容易に理解していただける と
思います。つまり、「小刀」で「殺す」とすれば。ごく普通には「小刀を
(手に)持って殺す」のであり、それなら「小刀で殺す」と言えば
十分であり、「持って」などという余分な言葉は必要ないのです。

言葉不足に聞こえる というのはこういうことです。
上に述べましたように、日本語の感覚としては、「小刀で殺す」と
言えばそれは「小刀を(手に)持って殺す」ということです。
それなのに、敢えて「持って」という言葉を付け加えているわけですから、
そこには「持って」という言葉を入れるだけの必然性がなければ
ならないところです。
例えば、「小刀を逆手(さかて)に持って・・」とかであれば、確かに
「持って」という言葉を入れる必然性が生まれてきますし、
その文章を読んでも違和感が生じません(ただし、「殺す」と
言うか「刺す」と言うかについては微妙な議論が残りますが)。

しかし、そのような必然性がないまま、「持って」という、あいまいな
言葉が挿入されますと、読む人間は無意識のうちに、なぜ「持って」
という言葉がそこにあるのかを理解しようとします。しかし、このような
短い文では、当然その回答が得られず、ある種の期待はずれ の
感覚が生まれ、違和感が生じるくるのではないか と思われるのです。

                   上 柴 公 二

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